トミカのパーキング


みた
ファルージャ イラク戦争 日本人人質事件…そして」伊藤めぐみ監督
http://fallujah-movie.com
彼女はあくまでADで、実際は制作会社、広瀬凉二氏の作品と言っていいと思う。
監督の彼女のインタビューを見ているとなんとなく撮影前後の姿が見えてくる。
印象に残ったのは、今井紀明さんの「自分をゼロにする」という言葉
その0にもっていくまでの苦しみは当事者でないとわからないだろう。
それは彼だけでなく、今日常を生きている誰しもにふりかかるもので
その「プラス」そして「マイナス」に追いやる方の罪は誰より当人に降りかかるのだから
ようするに、0にできたらあとは自分のすべきことをするだけだと感じた。
そして、どんどん奇形で生まれてくる赤ん坊の姿
皮膚を突き破って胸の上で上下する心臓も
今日空爆で吹き飛んだ彼の心臓も
認知症に怯える初老の心臓も
明日には動きを止める


昨日、外苑でkさんと色々なことを話した。
サンドイッチするようにそこに共通しているものがあって
私の手の平にあるサンドイッチと
彼の手の平にあるサンドイッチ、具材は違うけど同じだ
そんでもって別にチキンとキャベツでもよくて
大切なのはもう少し違う先のこと。
彼が見たバスの外に降ってくる戦火の雨、奪われる衣服
服を着替えて何にでもなれる
世間のこと、その色々なものに一枚アクリル板を置く
そのアクリル越しに見ていると気づくさまざまなこと
7月以降、世界が変わったように思える
心もだいぶフラットになった感じがする
大きなトミカのパーキングのような白と
透明な昭和のマンションを見上げ喜ぶ声を聞く
夢と混じり合うまぶたに当てられる暖かい手の平
良かった、という言葉が耳の穴から意識の奥に沈んでいく
私の名前を呼んでも彼はいない
私があり私がなくなってもどうにでも生きられるのだ