ひとりぼっちのタンデムブレーキ

rottenlily2005-03-17

2005年3月16日。おいらはついに正式に横浜市民になった。この1年で長崎→大宮→阿佐ヶ谷→横浜と、運転免許証は引越しの跡でいっぱいである。住むにはまだこの土地には慣れない。外来種の気分である。タンポポみたい。心はまだ「長崎の女」。去年の2月にこっちに引っ越して来た時、長崎のバー時代の横浜の友人の関係もあって、さいたまよりも東京よりもどこよりも早く、横浜に詳しくなった。横浜はね、長崎と同じ匂いがするんだよ。ほんとだよ。月曜日、阿佐ヶ谷で最後の荷物の片付けを終え、空っぽになった四畳半でおいどんみたく天井を見ながら(サルマタケは生えてない)、私は最後に一人の夜を過ごした。暖房も付けない物も無い一人の部屋では声が響き、寂しくて電話をしながら、やっぱり一人ぼっちじゃ駄目なんだって思った。たった半年しかいなかった筈の阿佐ヶ谷の部屋は、大宮時代よりも去りがたく思い出が染み付いていた。そこにあった息は、窓から流れた空気に混じって、杉並の空に帰っていくようだった。ほんの少しの思い出は、胸を締め付ける一生の思い出になった。たぶん思い出すから二度と来ない。言葉を空気に震わせることを覚えた部屋。涙を流して身を狂わせた部屋。役柄「サビーヌ」という女の子がいた部屋。その一畳は、たった一人のための舞台にもなった。そこに私の演技があった。涙は横に流れていった。私は部屋を去る朝、感謝を込めて、部屋に別れを告げた。もうこれ以上、阿佐ヶ谷の思い出話なんかしないよ。



3月15日、一昨日はおいらの家族の猫達(通称:にゃんず)の誕生日。今私が住む家には、ライカ(雌)と夏目(雄)という2匹の兄弟猫がいる。にゃんずは昨年の8月の雨の日おうちにやってきた。大きなケージの中ででぴょんぴょん飛び跳ねていた兄弟は、彼氏様の擦る白い紙の音に反応してこっちを向いた。青色の持ち運びケージに入れられた小さな小さなにゃんずは、家にやってきてまず最初に、真っ白なベッドの上で高く高く飛び跳ねてじゃれあって遊んでいた。凄く綺麗だった。飛び跳ね疲れて横になり、じっとしているにゃんずの目を見ながら私は「彼をよろしくね」と口に出してお願いした。きっと私の知らない、辛く閉ざした彼のこころを、暖かくする術をあなたたちは知ってるね、と。まだ横浜には住んでいなかった当時の、引っ越す前の私のささやかな願いだった。きみたちは私の猫でもあるんだよ、って。そして半年。にゃんずはすくすく大きくなった。立ち上がった私にライカは雄並の声で餌をねだり(ねだるって強請るって書くんだよ、ライカちゃん)、夏目はかわゆい雌のような声でミィと鳴き、ライブに行って家に帰らない日はにんにくをかじり(マジでにんにく臭い)、猫がいる生活は、私にとってすごく楽しいものになった。アトピーでもある自身とぜんそくで入院を繰り返す妹がいる私の実家は動物等が一切禁止だった為、動物を飼った経験がなかったのだ。にゃんずは私が帰れば「おかえりユリナちゃん」と言い(嘘です←でも出迎えてくれるんだぜー、餌欲しさに)、最近は大人しく私と一緒に遊んでくれる。私が大宮時代から連れてきている「にゃんちゅーパンチ」(ねずみの形をしたおもちゃ)も3代目になり、そしてにゃんずもついに1歳。誕生日は彼氏様と決めました。誕生日にさ、またたびを与えてみたんだけど雄の夏目しか反応しないの。雌のライカは全然反応しなくて、逃げてっちゃった。猫みんな反応するわけじゃないのね。にゃんずは精神的にぶっ壊れてパニックする私を冷静に見つめるだけ。その表情は、何も言わないのに私はどこかで救われた気持ちになる。この半年の2匹と2人の生活はまだ始まったばかりなのだ。1歳おめでとう、ライカ、夏目。