母音は空虚に

以下引用

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電子工学的に言葉を分解することは容易である。かりに、あなたの声を分解する。無惨にもあなたの子音はS---sと慄えている。母音は空虚にO---と響く。


〈ソ〉は孤独なSOSを通信した。


あなたの子音Sと母音Oは、別のテープにある。ただしいあなたの〈ソ〉をとりもどすために、S+Oという算数式にしたがう。だが、今日の電子工学においては、この簡単な数式の解答がえられない。ふたつのテープをシンクロしても、あなたのSとOは、たがいにもとのようにはなじみえない。

人間の母音と子音とのあいだには、器械的には把えられないかかりがある。霊媒のように不完全な、天候と温度と生理と、そして器械的にはまったくしまつにおえない、不完全な感情によって変化する微妙な波形がある。


ぼくらの声は不完全さによって個性的であり、そのことによって肉体となるのである。





武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』抜粋