sing your own story


ドキュメンタリー「山口冨士夫/皆殺しのバラード」を見てきた。
冨士夫さんの一周忌、命日の夜、満席の新宿シネマート。人々の歓声、気の抜けた生ビール。素敵な映像だった。終り頃、どこからか冨士夫さんが出てきてステージに上がるんじゃないかって気がして、光が漏れる左側の扉を見つめていたけどステージの電気は消えてしまった。現代の技術でリアルな立体で冨士夫さんを復活させてよ、ロイドでも頭脳でも知能でも、まがい物で構わないからもっともっと見ていたかった。


真っ暗な狭い空間で人ごみの向こう遠くに見える冨士夫さんの姿はきっと一生忘れられない。


最初で最後に冨士夫さんを生で見たのは10年前、2004年のクリスマスイブ。
その前日12/23に私は舞踏の面々と某イベントに出て、翌朝仕事行ってまた同じメンバー数名で下北沢まで行ったのをよく覚えてる。外は寒いのにライブハウス内(シェルター)は物凄い熱気で人まみれでつぶされそうだった。あの日私は確か灰色のコートを着ていて、もまれながら黒い人ごみの奥にチラチラと見えた冨士夫さんの姿と音と、そして途切れ途切れに聞こえてくる歌詞がくっきり自分に染み込んだ。焼き付いたというより、染み込んだ。終わって高円寺戻って、福龍門でみんなで朝まで飲んだ、2004年12月24日。上京したばかりでまだ何も知らなかった頃23歳。お金を貯めて成田東へ引っ越して、初めての一人暮らしで不安も多かったけど毎日はとても楽しかったあの頃のこと。善福寺川でのんびり散歩したり帰りに生協で牛乳買って帰ったり、刺すような冷たい冬や冷たい水や白い息に重なるオランダ煙草の匂いもみんな感覚ごとよく覚えている。


ずっと2004年に戻りたかった。自由だったあの頃に戻りたかった。2005年から私は道を踏み誤って大変だった。2005年、何を思ったかそんな幸せな生活を自分で捨ててしまった。ずっと悔やんでいた。2004年の頃の自分に戻りたいってずっと思ってたんだよねきっと。けど、10年かけて今こうしてなんとか軌道修正できた感じがしてる。ぐるっとカーブを描いた感じ。2004年から10年経って、また同じ場所に住んで、沢山の友人がいて、こうして冨士夫さんをみてる。あの頃はとても楽しかったけど、今は今の形でもっと幸せ。2004年の頃の自分に戻るのではなく、今違う形でやっと舞い戻ってきた。色々あともう少しで解放される。そしたら本当に私の苦しみの10年間は終了だ。そうか、そんな節目にまたこうして冨士夫さんの姿を間近に見ているなんて。


なんか、確かに私は映像の中の冨士夫さんをみているはずなのに、いつの間にか自分の中に染み込んでいる冨士夫さんが体の中で再生されていて、「自分の中にある山口冨士夫」の音を、自分の奥底から感じているんじゃないかって気がした。冨士夫さんは今この世にいないけれど、欠片になって皆の中に沈み込んでいるみたい。またいつか冨士夫さんを見られる気がしてる。sing your own story、と言っていた。うん、頑張ります。冨士夫さん、またLIVE見に行きます!