かじゅあるびじゅある

うへーと思ったのは、お客さんがみんな一定のトーンの空気を放っていたこと。例えば、公演にしても集会にしても、一つの場所に同じ目的で集った人達は、ある程度似たような人達が集まるにしても、その一人一人は違う空気を放っている。なぜならば違う人間だから。だけど昨日は違っていて、服や髪など見た目は全然違うのに、放っている空気感が皆同じ。似てるじゃなくてそっくりそのまま。子供連れの家族が同じ空気を放っているような、でも他人、異様な空気の振動が見えた気がした。とても巻くようには見えない見た目の女性の手から紙巻き煙草。その時が来るまで十数分紙袋を手にまっすぐ立ち尽くす女性。赤いカーディガンのアンダーバストの赤い紐。そして集まった視線の先に遠いパッチワーク。だいぶ体重の軽い殺人鬼。これだけで小説が書けそう。需要があり供給があり成り立っていればそれでいいと思うのだけれど、ツギハギはツギハギであって布でも織物でもなく引っ張ったら縫い目から容易に崩壊して目も当てられなくなりそうだけれど、その時はきっと働き蟻がそこから運んで巣の中でさめざめと泣くのだろう。泣くだけ。きっと広がった裾から捲って脚を見たりはしないのだ。御堂の中には崇める神があり、祈る者は心が満たされる。それでいいんだろうけど、世界中に沢山の単位で存在してんだろうから、一つ一つをよーく観察してお金を貯めてサラダかじるんだろうけど、目の前にあるこれはやっぱりパッチワーク後援会であってうーむ、出す人と受け取る人がいて成り立っていればそれでいいんだろうけど暖房のスイッチが入ったのかホコリまみれの気持ち悪い空調の風が流れてきてとりあえずトイレに吐きに行って携帯開いたら眩しい男の子のfbイベントが立っていてカレンダー確認してた昨日の我が振りカジュアル