また来るね

つい先日の帰省の際には流動食さえ食べられなくなり、咀嚼をせず栄養を受け付けなくなった祖母は、手足の毛細血管もボロボロになってもう、点滴の針を刺す血管を見つけることさえ難しいと言う。全身は悪化した乾皮症で皮膚が鱗状になり、触れた腕から皮膚がぽろぽろとこぼれ落ちていく。枕元の壁には【皮膚落屑注意】の文字が創英角ポップ体で書かれた日常のA4。祖母は薄っすらと目を開けるので精一杯のようだった。
山の上の施設から病院に入院になった母方の祖母を訪ねて帰省した。マスクばせんとですけんね、と同じトーンで伝えられたのは、後はもう安らかにね、という言葉で、土曜の夕方に弟は喪服を買いに行くと言う。
戦前、四ツ谷や新宿や、古い名前の東京のどこかに居た祖母は、認知症が始まりだした頃にぽろぽろと東京の話をしてくれた。もう色々な記憶が混線するけれど、帰省する度に東京の話を聞くのが好きだった。性格は父方から受け継いでいるのだろうけど、私の見た目や身体、好みは母方の遺伝そのものだ。若い頃からデパートの主要顧客だった祖母は私に沢山のものをくれた。今でもdiorが好きなのはきっと祖母の影響。いつかくれた発売したばかりのdior addict、東京戻ったらまた買いに行こう。
ゼイゼイと息をして、口を閉じることができない祖母に話かける。体に触れて何度か話しかけると、ゆっくりと目を見開く。私の顔をじっと見て何かを発そうとしている。叔母が、ゆりのきたよ東京から帰ってきとっとよ、と言うと、何かを思い出したように動き、まばたきと握った手をぎゅっと握り返す。声さえ発することは出来ないけど、確かに私に何かを伝えようとしているのがわかる。でもきっと体力が続かないのだろう、目を見開いていることが出来ない。以前も何度か話していたバレエのことを話すと明らかに反応が変わり、そしてうぅぅああと声を発してくれた。私が帰った後、叔母が私の話をしたら、そうね、と確かに言ってくれたそうだ。前回の帰省では、ゆりちゃんね、かわいかね、とはっきりと言葉を発してくれた。私が帰るのに手を離そうとすると、とても強い力で、もう座っている体力も無いはずなのに、手を離そうとする瞬間に強く手を握り返してくれる。目を開けていられる瞬間に、私の目をしっかりと見ている祖母はきっと私の言葉をわかっている。祖母のその強い瞳はきっと一生忘れられない。
おばあちゃんあのね、オツトメは大変かけど楽しかとよ、友達もいっぱいおるけんね、ゆり好きな人もおってね、楽しく暮らしとっとよ、東京でゆり楽しかよ、がんばりよっけんね、また来るけんね、元気にしとってね。