四谷担ぎ


こんなメモ帳誰も見ていないだろうから
ロウソクに火をつけるごとく
またもやネットの海に放流したいと思う。


8/25-26は荒木町の盆踊りの日。頂いた浴衣を着てへろへろと終わり際に出かけ、踊ることもなく遠目に提灯を眺めてビールを飲んで帰宅。なんだけど、その後に聞いた話が印象的だった。


■「四ツ谷は担ぎ方が違うんだよ、他と」
四ツ谷の神輿は担ぎ方が少し変わっていて、他のブログにもあるように「四谷担ぎ」という。よくある肩に乗せるのではなく、手を後ろに回して足をそろりそろりと前に出す。よくある神輿の元気さではない、どこか厳かで奇妙な印象なのだ。誰だったかどこかの店の女の子が担ぎたいと言っていたらしいけど彼女は四ツ谷担ぎのことを知っていたのだろうか?


■「祭りが盛んな地域はやはりどこか地方臭がするものだ」
荒木町には先代から周辺に住んでいる所謂「地元人」が多く、子供が店を継いでいたりする。商店会に入らない新興の店々も多いけど、それでもこの街はやはり古い商店会や人々の力は大きい。相変わらずどこの店がどうしたとそんな数十年前から続く仲違いを続けていたりする。数百も店があるのに、どこの店に誰が入ったとそんな話をしてる。IT崩れの放浪SEが居たり、男に捨てられた女が飲み歩いていたり、ゴールデン街からの漂着物みたいな酔っ払いが居たり、大手飲料メーカーや食品メーカーのサンプル店舗もあったりして古さと新しさが入り乱れるおかしな街。新宿の外国人観光客の姿もなく、観光ガイドに紹介されることもなくひっそり飲む人々、そして古さから灰汁だけが残る店々。そんな店員さんや常連さんはやはり古くからの話をよく知っていて、四谷担ぎのことを教えてくれたらしい。


■どうして厳かに運ぶのか、
青年会の面々はその担ぎ方に誇りを持っていて、その担ぎ方こそ粋なのだと言うらしいけれど、とある店の息子(といってももう60近いけれど)のお父さんの話では、それはつまり公家の葬列の担ぎ方だったのだと言う。四ツ谷は其の地域だったという話は荒木町界隈ではもう腐るほど聞く話だけれど(鮫ヶ橋の方だけじゃなくて)、それでも偉い人の死体を運ばせて頂ける、その町に選ばれたことは名誉であると。喜んで担がせていただく。肩後方に手を上げて、担いだその御箱が上下に揺れないように。静かに足を擦るようにすり足で行く。街が人が変わっても、それでも今は担ぎ方だけが淡々と残り続けているのだ。


■吸い込まれる町、荒木町。
荒木町はどこか飲み込まれる空気感があって、体をひきずられる感覚が苦手で、昨年以降は積極的には行かないようにしてる(それでも呼ばれちゃうけど)。なんとなく感じるあのローカル感、閉鎖された内向きの感じはじっとりと湿っていて、黄色い路線駅の大きな団体さんの話や、誰かが連れてきた赤い旗本さんや、騒がしい町はうちの近所から一番近い飲屋街。1年少し前、どうして私は四谷三丁目を選んだのか今となっては理由が思い出せないのだけれど、それでもなんとなく今ここにいることに理由があるような気がする不思議。


ーーー

大京町須賀神社
気になる四ツ谷話といえば、須賀神社は四谷18町の総鎮守なんだけど、その中になぜか大京町が外されてるんだよね。「君の名は。」の舞台にもなってるあたり、須賀神社。この辺の神様のはずなのに。大京町には大京神社があって、例大祭の時も須賀神社と同じ日にささやかなお祭りをしてる。大京神社。たしか2つの町の名前が合わさったんだよね。ていうか単に大京町は広すぎてカバーしてないのかなあ。いつだったかタクシーの運転手さんが、この辺りは空襲でも焼けずに残ったから道もそのまま残っていて、だからこうして入り組んでいるんだよって教えてくれた。東京deep案内の人なら詳しい事情知ってたりするのかしら。



地域話は面白いなあ。とりあえず四ツ谷はものすごく住みやすいです。ああまたいつもの日記調に戻っちった