日々の中

昨日何も考えずにキャベツのスープを作った。想像していた味とは違い、あんまりおいしくなかった。塩胡椒もせず、にんにくも使わず、ただベーコンとキャベツのスープ。それは、母がよく作ってくれていたスープのイメージだった。風邪をひいたら必ず作ってくれていたスープ。それを飲むとなぜか体が温まってよく眠れる。私は電話で母に作り方を聞いた。その通りにやっても、なぜか作れない。あの味はどこにあるんだろう。んで、下手な私のスープの唯一救いだったのはキャベツの甘味だった。


何故母親の味を知らない?それはきっと、私が家事をあまり手伝わなかったから。こっちで暮らしていると、何であの時作り方を聞いておかなかったんだろう、といつも悔やむ。電話で母親の声を聞く。後で聞こえる家族の声。半年前に帰ったばかりなのに、なぜかあの家に帰りたいと思う。でも、もうあの6人暮らしは帰って来ない。母の食事の手伝いも出来ない。ほんの少し聞く母親の声は優しく、明るい。私の情緒は母親の其れそのものだった。天気図を見ながら、横浜と長崎の遠さを感じてみる。たった1時間30分の近さなのに、何百キロと遠く離れた私の実家。私はいまどこにいる?私は今、安定の中にある。そう伝えたくて、携帯を取った。


先週のワークショップの即興パフォーマンスが楽しかった。即興は高校演劇時代にも劇団時代にも何度もやった。すごく楽しい。文字を書かない今、生まれるものは演技。熱くてしゅわしゅわしたものが胸いっぱいに広がる。脳の中は真っ白なのに、自然と体は動く。こっちに来て本当によかったと思ってる。私には、この心の塊がある。


満員電車の中では、自分の周りにシールドを張って、音楽を流して、この身を守りながら駅を待つ。毎朝の2時間。そんなに嫌いじゃなくなってきた。新しい私の家、家族、帰り道、安定の中で生まれるのはきっと新しい自分に違いない。そうじゃなければどうしてこころが叫んでいるの?答えは日々の中にある。