カレー


influenced thanx to p-chan,


 うだうだと目覚める。明らかに夕闇を通り過ぎた半開きのカーテンは夜を指している。何時なのかと目をやるも、電池を替え忘れて数日が過ぎた時計はまるで関係をこじらせた男のように何一つ信頼を無くしている。携帯はお布団の山を越えた窓際の延長コードに刺さっているはず。何時であろうと世が明けるまでにカレーを仕込まなくちゃいけないのだ。仕込んだ上にお釣りを準備しなくちゃ、この年の瀬の新宿に、ぐちゃぐちゃになった頭を整理して、人だらけの街を通り過ぎて、そしてまた帰宅して数時間かけて材料を切ってトマト缶ぶっこんでハーブとスパイスぐちゃぐちゃに混ぜてそんで難しい味のバランスをみるの?私はなぜカレーを作っているのだろう。

 もう夜だからさすがに二日酔いはないのだが、乾いて悪化した炎症が喉にはりつくように痛い。軽症だからなんともないにしても、数日前から体調が緩み始めているのはわかっていながら放置した。気づかなかったことにしようと都合の悪いことはいつも後回しにして引き出しの奥に見えないようにしてきた、そのツケはいつだって最後にやってくる。余計な出来事を引き連れて。喉の薬プッシュしてやっぱりむせて、しっかり手を洗って材料を切り始める。にんにくを買い忘れたからチューブを握りしめてゴミ箱に放り投げる。そう、明日はお世話になったライブハウスの最後のカウントダウン。思えば私のカレー出店は2013年のカウントダウンから始まったんだった。あの頃はまだ幸せだった。ベッキーも居なかったし、彼ともまだ苗字が違っていてゆっくり時間があった頃だ。騒ぎ立てるテレビと同じように私のドラマが展開する、ずっと思い出さないようにしてきたあの出来事はもう古くなった雑誌みたいにどうでもいいものだ。そうか、どうしてこんなに体調が悪くなったのか。ずっと音沙汰がない中に突然届いた箱の中身は、注文しておいたカレースパイスではなく、仕分けし損ねていたレコードの山だった。


 お釣りを財布に詰めて新宿を足早に去りたい。頭ではそう思いながら進まない人混みに苛立っている。新宿みたいに思い出が多すぎる街はもはや感覚が麻痺して思い出の道を歩いても何も感じなくなるものだ。苛立ちが冷めやらぬままにY3、丸正に寄ってバジル、煮込みの続き。そうか、なんとなくカレーを作る気になれないのは明日があのライブハウスだからだ。楽しい思い出も発覚したゲス不倫も全部があのライブハウスで起きている。だって毎週のようにカレーは作っているもの。カレーを作りたくないのではない。明日そのライブハウスに行きたくないだけだ。


 趣味で作っていたカレーは2013年以降イベントに出すようになり、人に誘われるまま今はいつの間にか店舗に卸したりお店をやったりカレーバトルに出たりなんだか忙しいことになっている。関係も名前も家も失ってY3に放り出された私は無我夢中で仕事に集中し、人に呼ばれるがままにカレーを作り続けた。ああいろんなものを失って今、自分に残っているのは優しくしてくれる人の縁と「美味しい!」って人の言葉だ。美味しいからまたカレー作ってください、って幸せな言葉に生かされて今ここにいる。

 
 カレーは面白い。味のバランスが如実に出る。ほんの少し材料を変えただけで全く別物になってしまう。味の責任は全部自分にある。ぼろぼろになって失った一人の穴はカレーで埋めよう。その穴も自分に責任があるのだ。電気を消したワンルームから音楽が聴こえる。思い出さないようにしていた思い出が堰を切ったように溢れ出す。さっき切った玉ねぎの山で涙が溢れている。明日出来上がったカレーを持って行くライブハウスには沢山の思い出があって、でも明日行くのは過去の自分ではなく今の自分で、そしてもう一月でライブハウスは取り壊されてしまう。悲しい思い出は全部カレーと一緒に煮込んでしまおう。思い出の場所は新しい記憶で塗り直したら、そこに何があったのかはきっと記憶の奥底に沈んでしまうだろう。悲しい思い出にまだ形があるならば形がなくなるまで煮込んで、煮込んだらきっと美味しくなるから、あとは自分の手でカレーを仕上げなくちゃ。