二度と

いつものように神宮外苑の並木道を抜けると、芝生の上で鳩がひなたぼっこしている。今週のネタにしようと思いながら顔を東へ向けた。昨年9月から毎週書いてきた原稿は、3月22日で半年の役目を終えた。文章だけで、あくのないようにさらっと、意志ある音楽の本の隙間に挟み込む小さな埃のように、そして太陽に当たれば光るように、世界のどこかに向けて書く1分間の原稿。行数にして10行弱。それでも、毎週楽しみにしています、といくつかのお手紙を頂いたことは本当に嬉しかった。時に詩のようだと色々なところから何度か言われたのには少し笑った。それは誰かを想うこと、相手の顔が見えないままに投げかけるメッセージ。姿の見えない意図をoaに包んで。意味を無くしてしまったこの名前に誇りを持って、またjc2に通う水曜日が始まる。3年目。


もう風の方向が変わっているのに、同じ方向へボートを漕ぎ続けても全く先へ進まないだろう。むしろ腕は疲労し、一人おかしな方向へ回ってしまったようだ。ふくれた体でおかしな動きで踊り続ける。きっともうスピードが合わなくなってしまっている。どんな場所にいても、どんな人と居ても、どんなことをやるのでも、気持ちをこめて丁寧にすること。プライドを忘れないこと。過去で語る人、未来を軸に生きる人、今を精一杯生きる人、そのどれも正解だ。成長することをやめた人は更新されないウィルス定義のようなものだ。ボートがさっきから前に進まない理由に気がついていない。厳しい言葉が耳に炎症を起こす。耐え切れなくて外耳炎を起こして熱でぼうっとしながら新宿駅を歩く。自分がそこを去れば終わりというのではない。1cmの感覚を忘れないように。外苑から見える南の夕空はいつも美しく、私はいつまでも地面を這いつくばって歩いているようだ。人や物、場所を貶す必要はない。追いかける必要もない。いつまで五匹目のどじょうを探しているの?二度と同じことは起こらないのに。