足音

2・3日前、家に電話する。何度と聞き慣れた母の声、数分話をする。

こちらからの用件は特にない。妹の進路のこと、弟の受験のこと、弟の大学のこと。家族の足音を聴く。今思えば本当に明るい6人家族だったと思い直す。もう帰らない、食卓。

「こっちに住むこと、家族には話しているの?」

長崎には帰らない。横浜から西に向かって斜めに定規を当てて見ている。気づけばもう帰らない、6人の食卓。

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1ヶ月前から、バーテン時代のマスターからメール。忘れもしない、忘れることの出来ない男の話。

その男はくも膜下出血で倒れた、と。何とか意識回復。麻痺が残るため、料理人としては致命傷。返信することができなかった。生涯の中で一番尊敬している人。生き方を教えてくれた人。もう一度会いたい。けれどもきっと、会うことは出来ない。人生の中でセブンスター一箱。心のどこかに置いてある。

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拗ねた私は今日、元彼と電話で話す。付き合っていた頃となんと変わらない、口調。飲酒運転による交通事故のあと、半年の謹慎生活を終え、島に帰った彼の身を案じて。九州の地図の斜め上にある大きな島、対馬に帰った彼の身を案じて。元であっても彼女の頃と変わらぬ口調で話しかけた。

「普段の俺ならこんなこと言わないけど、俺駄目だわ。生涯の内で俺の甘い部分も苦しい部分も解ってくれたのはおまえだけだ」

彼は酔っていたのか、色々話をした。彼女はおまえ以外考えられない、と。でももう私たちはあの頃の生活は出来ない。日本地図で斜めに向かって定規をあてる。くまのぬいぐるみがモノを話さないように、私もきっともう電話しないと思う。それはもう、終わったことなのだ。車が走り去る音を電話越しに聞いた。きみは走り去っていったね、わたしも逃げるように上京したね、もう帰らない、二人の足音を聞いた。その音はかすかに柔らかな足音だった。


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日々はもう戻らないことは解っているね、今自分の出来ることを精一杯頑張る。洗い残したコップには、乾かない水滴が流れ落ちる。そう、わかっていること。