時を止めた街

その場所は、現実から逃げ出した人々が集まってくる酒場である。
お客は「かつて自分が一番輝いていた」時の姿格好で集まってくる。
好きなCDやレコード、MDやカセットテープ、DVDなどを持ち寄り
思い思いに好きな音楽をかけ、演奏したい者は大音量で好きなだけ演奏することが出来る。
酒はあるがつまみがないので、ひたすらに酒を飲み続けるしかない。
腹が減って外に出たら最後、店の外は一面のコンクリートに覆われていて
客は現実の自分自身を嫌でも思い出してしまう。だから
その酒場にいる間は、現実の自分のことを思い出してはならない。


ある男がバーカウンターに座っており、山のように積んであったCDをがっと掴んで
1枚1枚めくりながら、何かを見つけ、そして彼はそのCDをバリバリと食べ始める。
びっくりして聞くと、CDには人々の思い出や楽しかった出来事が封じ込められており、
彼はそうして1枚1枚食べて、その音楽と演奏を身に付けるのだと言う。


かつて自分が好きだった音楽を、かつて自分が好きだった女と同じ顔をした女と歌う男がいる。
男は80年代に流行った音楽の格好をしており、
女はいつか見せられた前の彼女の写真の通りに化粧をし、同じ服を着て、同じ名前で振舞っている。
しかし、大変歌の上手かった前カノのオクターブには大抵辿り着くことができず、
男は怒ってふて腐れ、演奏を中止してしまう。
転がった赤いタンバリンを拾い、女は悲しそうな顔をしてステージを降りる。
階段を降りながら、もう一度youtubeを観て研究しようと心に誓う。


「とても凄い音楽を創ってしまった」と青年が言う。
青年は全ての芸術をこの身に背負っているのだと言い、そしておもむろにその音楽を口ずさみはじめる。
口ずさんだそばから音が音符になって、音符は自らの意志でテーブルの上にあったメモ帳に横になり、何かが記譜されていく。
メモ帳を覗き込むと、昔大嫌いだったバンドの曲とそっくりであったので
その旨を青年に告げるが、青年は聞く耳を持とうとしない。
青年の歌にリズムが乗り、低音は唾液のようにねっとりと絡みつき、調子のおかしな音楽が酒場中に流れ始める。


仕事でまとめた髪からピンを抜き、頭ごと振り乱し、プロジェクターに向かってスカーフの女がヘドバンしている。
空気を入れて膨らませたエレキギター型の浮き輪で弾く真似をすると、どこからともなくエレキギターの音がし始める。
さっき飲んだアマレットジンジャーが舌の傷に触れて激しく痛い。
リズムのずれたエレキギターの音がドラムの音と半拍子ずれて頭がガンガンしてくる。
見回すと、人々がぼんやりとした顔で奇声を上げている。
かつて自分が一番輝いていた姿をした人々は、だんだんボロが出始めたのか、
レシートや値札が服から見えていたり、化粧が剥げて眉毛がなくなっている。
5年前に流行したタイプのスカートからほつれかかった糸が出ている。
思わずそれを引っ張ってみると、引っ張られた女がキラキラと輝き出して、人々が彼女を絶賛し始める。
こんなのおかしいよ、って人々に訴えるが、誰も話を聞いてくれない。
そうだ、と思って空間にナイフを直角に入れてみる。
めくってみると、幾数もの黒い虫がうじゃうじゃと蠢いている。
気持ち悪くてさっと閉じた。
酒場中に響き渡るおかしな音楽---昔嫌いだったバンドの3rdアルバム---、
人々が足でリズムを刻み、ドスンドスンと暴れるたびに舞い上がる埃、落ちてくる壁。
何だかおかしな空間に変な気分になり、そばにいた人に話しかけようとすると
彼女は、少し現実に戻り始めているのか、iPhoneを触りながら悲しそうな顔をしている。
話しかけると「私はもうそろそろ自由になってもいいはず」と呟いている。
違う女が男を追いかけようとして席を立つと、ウェストポーチにひっかかって
さっき注文したジントニックが床に落ちて音を立てて割れてしまう。
ギターを弾いていた男性が動揺して歌詞を間違え、歌は全く反対の意味になってしまう。
女がびっくりして破片を片付けようとし、指を怪我して血が出てくる。
ライムに血が滴り落ち、私はとても気持ちが悪くなって壁に寄りかかる。
放射状に線が拡がっている壁の向こうには窓があって
窓を見るともうスグそこまで津波が押し寄せてきていて
今にも酒場を押しつぶそうと大きく広がり始める。
「窓を見ろ!」と誰かが叫び、人々はパニックに陥って扉に集まり始める。
人の波に押しつぶされそうになりながら見ると、扉は何故か
昔の彼氏と同棲していた頃の、横浜のアパートの扉に入れ替わっている。
私は酒場にいたはずなのに、気づけばあたりは横浜のあの部屋になっていて
逃げ惑う人々がかつての二人の部屋をぐちゃぐちゃに踏み潰していく
もう部屋には誰もいないから、もう昔の話だから、もう荷物は全部東京に運んでしまったから、
終わった話で悲しくないはずなのに何故か悲しくなって
振り向いたら黄土色の泥水がそこまで来ていて、私は思わず飛び出して山の頂上へ一生懸命走った。


山の頂上はとても静かで、車の工場があって、太陽に照らされた赤い外車が置いてある。
辺りは草花で埋め尽くされており、桜が散って花びらが舞っている。
黒いヤギがホケホケと歩いている。
先程までの狂乱がまるで嘘のように、平和な空間が広がっている。
私は安心して、誰かと話しながら昼の坂道を登り始めた。
こんな夢を見た 長い夢だった