シェアリングザライト

もう居るはずのない場所なのに、なぜか昔の人が居る気がする感覚
過去の自分の振る舞いを思い出す、という言葉ももらった。
例のドコモバイクシェアリングを使って飯田橋まで行って
その昔、これまた本当に楽しかった昔の懐かしい牛天神へ
たまに行くのだけれど、今日は久しぶりに。
その後高円寺に行ってきたけど、やはり新高円寺へは近づけない。
単に暴力と恐怖を思い出す、この場合は
昔の人ではなく感覚を想起している。
覗き込む過去は自分の心のそこにあるものであってとても内向きだ
過去なんかどーでもいいものだ。そして過去を求めているようで
私は未来を求めている。もう一度、あと一度、いつか
また出会ったなら形あるものを作ることができますように
人が過去を語るとき、それは自分自身の一部を削ぎ売るようなもので
走馬灯を疑似体験しているのだろうか
私の走馬灯を壁に映し出して座り込んで見ている
分かち合うことで少し心が身軽になるのかもしれない