もの

後々覚えておいた方がいいであろう今日の気持ちを残しておくメモ


物に対する価値観は人によって全然違うしとても難しい。


自分にとっては忘れているものも、他の人からしてみると捨てられずにずっと持っていたりして。いらないなら処分してもらって構わないよってもの、他人にとっちゃ不要っていうよりも手放せないというか持ち主の元に行った方がいいのではってやつを、もらう側と渡す側と両方やってしまった。

ある日、随分昔の知人から連絡があって、正直顔も忘れてたんだけどメールでうっすら思い出したレベル。もう20年前じゃないのってくらいだ。「もの」が出てきたんだけど捨てていいかわからないって話。もうそんな昔なんだから必要ないに決まっている(とはいえないか)。自分だけなら価値観を判断できるものも、他の人が絡むと「もの」は物凄く重くなるのだろう。処分してもらっていいですよって返信して連絡は終了した。

で、今度は自分だ。なかなか物が処分できない性格ゆえ、思い出すたびに辛くなってしまうような代物は全て箱に入れてしまってしまう。だから、定期的に片付けをしてどうにかしてるんだけど、悩ませていたのはやはり他人が絡むもの。自分だけのものならいいが、一度でも他人が絡んだ「もの」は、なかなかどうにできるものではない。長年悩み続けた挙句、ここで先日の知人の連絡を思い出した。自分にとってはどうでもよくても、相手にとってはそうでもなかったりするのだ。重さが違うのかな。意味と重さ。価値観とは少し違う気がする。いやー、あんまり興味がないっていうか正直覚えてないしどっちでもいいから不要なら好きにしてって物も
相手にとってはいや不要ってわけじゃないんだけどこのまま自分が持っていてはいけないのではみたいな気分。すごく重いものをもっているような気分かもしれない。捨てるわけにはいかないというか、捨てるのは簡単だけれどもその責任が怖いみたいな感じかな。その責任は自分の中にあるものだろうな。他人は忘れていたりするわけだから。


だから「もの」は怖い。だからできるだけ持ちたくないし、できるなら早めに、意味を持たぬうちに軽くしてしまいたい。欲しい人のところに行ってもらいたい。「もの」を持つこと、「もの」に関わることは楽しいけれども、とても怖いことだ。引っ越してからできるだけ家にものをおかないようにしているのはそのせいだ。

人ではなく「もの」は人以上に重くなってしまうのかもしれないな。


今日はいろいろ出品して出荷した。
次の「もの」は慎重にしたい。