魚たちはもう、鳥をうらやむことはなかった

rottenlily2005-02-13

13日日曜日。お世話になってるたけだあり氏主宰のイベント、10×10夜、大塚backbeatに行ってきました。土曜日に良医者にかかり、薬を飲み、風邪っぴきでベストコンディションではなかったものの、初めての、共演としての朗読は本当に楽しかった。(thanx to なかおちさと氏)イベントは詩朗読から漫才まで多種多様な10組のそれぞれの10分間。10分間で何が出来るだろう、私は自分に問い詰めると、やはりそこに出てきた答えは「朗読」。私たちの順番は4番目。バンド演奏の後。場の空気を、この身の中にある作品の中に捻転させる、その為の「第1声」。私が今回読んだのは、尊敬してる詩人、北川透の「華やぐ魚」。「その日 空に許されて魚たちは飛んでいた」魚、鳥、韻律の呪縛。それは自然に、この身から発せられていた。当たり前のことだけれども、スペースでは声が響く。音も響く。音に絡めて、空気を震わせる。そう、魚たちが詩の中で「喉笛も張り裂けんばかりに歌った」、その声を腹の底から震わせる。音を聞き、そこにあらゆる方法で声を乗せていく。客の視線をほんの少しの手の動きの中に集中させる。気持ちがいい!残念な事に私の腹筋はもはや脂肪と化してしまっていたので、もっと腹式呼吸を出来るようになりたかったのだけど。第5回定例朗読会溶鉱炉で朗読したマンディアルグの「サビーヌ」と引き続き、誰かの詩を読むことの難しさ、そして表現の楽しさを、今回も朗読の中で味わっていた。サビーヌの時は17歳の少女、華やぐ魚では表現者。今回はこの詩を選んでよかったな、と思った。緊張ではない、震え。朗読はやっぱり楽しい。朗読の楽しさを教えてくれたのは林佑次氏。凄く感謝してる。そして初めての共演を快く引き受けて下さったなかおちさと氏にも沢山感謝。朗読って楽しい。もっと多彩に表現出来るようになりたい。



image from www.I Paint Fish.com
BGM underworld DIRTY EPIC

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その日 空に許されて魚たちは飛んでいた 水の呪縛は流れの中で見失われ 火の呪縛は熱の中で見失われ 空の呪縛は風の中で見失われる 韻律の呪縛は声調の中で見失われるか 水中で魚たちは鳥をうらやんでいたが 今 翼を与えられると 鳥たちの自由はもうむなしいものになった 風を得て魚は鳥のように飛んだが それとひきかえに風は魚の意志を支配した 氷雨は魚の飛翔をさえぎり 嵐は翼を痛めつけた 飢えを満たすものは空に無く 飛ぶ鳥の自由は地に繋がれていた その上 魚たちに耐えがたかったのは 喉笛も張り裂けんばかりに歌ってみたが 空に流れたのは魚の韻律でしかなかった 空は飛ぶことを許したのに 魚はなぜ鳥でありえないのか 魚が鳥になるのでなければ 鳥が魚になるべきである としても それは誰も決める事が出来ないので 魚は魚の韻律で歌い 鳥は鳥の韻律でさえずるほかなかった それならば魚にとってこの開かれた蒼穹とは この雄々しい翼とは何か 魚たちはしだいに空が重くなり 翼が苦痛になり 頸は垂れていった 飛ぶことにも風の呪縛があり たとえ喉笛裂くるとも 魚たちはおのれの韻律自体からは解放されない 衆議一決 魚たちはまた 暗き水中に帰ることになった 水の呪縛も 流れに抗わずば自由となすことができる 空では風に向かう力を翼にみなぎらさなくては落下する 暁方 岩に打たれて 死んでいる鳥は怠惰だ 水中の洞の中では 眠っていても流れが餌を運び入れてくれる 鳥たちの呪われた自由まで引き受けることはない そこで魚たちは 華やいだ生活を取り戻し 再び水の暗きに慣れた 魚たちはもう 鳥をうらやむことはなかった

北川透 華やぐ魚