「フロリクス8から来た友人」の感想。今を生きること。

「フロリクス8から来た友人」フィリップ・K・ディック (早川書房 新装版)、読了。ディック大好き人間としては作品は読めばできるだけ忘れるようにして、何度も楽しめるようにしたいのだけど、本作については書き留めておこうと思う。

「神は死んだよ。二〇一九年に死体が見つかった。アルファ星のそばの宇宙空間を漂流していた。」

    • -

ネタバレしますよ

    • -

ディック新作(って書くとちょっと違うけどディックだしいいよね)が平積みに並んでいたので購入。なんでこのタイミングでリリースなのかって思ったけど上の一文のせいなんじゃないかと思う。となると、プロヴォーニは数年後にでも地球にやってくるのかもしれない。



本作は、なんとなくリードになるヒーローは現れない。コードンはあっさり撃たれて終わるしプロヴォーニはあまり多くは語らない。わちゃわちゃする登場人物の姿から何かを読み取る必要がある。そして主人公は...こうだ。


【主人公のニックという人】
ディック作品を読む時はだいたいハリソンフォードで脳内再生されるのだけど、この作品に関しては途中から違和感が出てきてハリソンフォードにごめんなさいと言って顔なしで再生した。ユービックのジョー・チップにしろ、いたずらの問題のアレンにしろ、主人公の男性は刻々と変化する世界や出来事に対して懸命に努力しようとするのに、本作品のニックは、なんというか受動的。息子がテストだめだったで嘆き、ジータと行った先で巻き込まれた問題にはジータのせいにしたり、もちろん奥様を怒らせてチャーリーをひまわりだと言って選ぶし(ここはそういうストーリーなのかもしれないけどそれにしても今回はただのニックのわがままだ)結果的にチャーリーは同乗して頭真っ二つになるし。現実にもいる男のタイプ。「自分の人生の出来事を他からもたらされる事象で判断していく」男。自分で積極的に責任を取らない逃げ男。なんというか、うまく書けないのだけど、かっこよくない。すぐ他人のせいにするみたいな。俺は妻を捨ててお前と来たのに、お前はなんだ、みたいなことを考える。いやいや、チャーリーは初めからちゃんと言ってきたし、おじさんが勝手に舞い上がっただけでしょうに。でももしかしたら人間らしい欲望なのかな、他に何か現れて救ってくれないかな、可愛い女の子が現れてくれないかな、みたいな他人任せの感じ。よっぽど独裁なグラムのほうがかっこいいと思えるくらいだ。事件に見せかけて奥さんを殺そうとしたとか人間性は別にしても、起きてくる出来事に対して考え、相手の心を読み、なんとか対処していこうと努力する。この点、今回のニックは本当にリアルにいる「相手がこう言ったからこうする」他に自身の行動の根源を求めるタイプで読みながら若干イライラしていた節はある。側近バーンズが分析していたように、この男の関心は大義ではなく個人の私生活であって、恋した女を自分のものにできればどうでもいい。という感覚。庶民には一時的な現金のほうがよく効く、というようなのとちょっと似てる。グラムがチャーリーを目の前にして自身のリビドーが活性化するのを自己分析したように、結局は個人の私欲で動いている。まあようするに、ヒーローじゃない。ニックの息子のボビーは平均よりも上で、連邦特級を取れた可能性がある。立ち回り方によってはチャーリーは死ぬ必要はなかったかもしれない。それでもそんなストーリーはニックの人生には起こらない。サンプリングした一般市民の代表。

【チャーリー】
かと言ってヒロインのチャーリーがすごいかというとこちらもそうではなくて、なんだかんだいってやっぱりアル中のデニーのところに戻ってきちゃって、結果的に何かとニックに流されて最終的にぱっくりいっちゃうし、映画化したらアクション立ち回り担当キャストになるんだろうけど、こちらも行動も発言も秀でた何かがあるわけがない。


【いつか誰かが助けてくれる、のか】
でももしかしたらディックはそういうことを伝えたかったのかな、とも思う。この世界を救うために宇宙へ旅立ったプロヴォーニがいつか戻ってくる救世主、「いつか誰かがきて助けてくれる」というような、自身の今に立ち向かうことはせず、他に助けや理想を求める受動的な生き方。そんな生き方の愚かさのような。現実にもあるわけです。現実に正対できず、他に逃げようとする、いつかどこかで誰か他に人が助けてくれる、他人を理想化することで自分の愚かさから逃げる姿勢。そうじゃない、自分で考えて現実を切り開いていく必要がある。ストーリーとしては、プロヴォーニがその役割なのかも。 脳内では二十世紀少年のオッチョ(豊川悦司)で再生していましたね。


【階層社会、認知症、ディック】
新人、異人、旧人、下級人、と階層化された世界。自分はどうせ旧人だからと嘆くのではない。新人はどうせ特権階級だろう、といじいじとするのではない。自分の現状を嘆いて他人を貶めたりするのではなく、自分ができることをやっていくこと。足を引っ張り合う姿はデフレの今の日本人の姿そのものだ。不公平だから正社員の手当を下げろとか、とにかく負の方向に向かっていく日本人。


宇宙の生命体は脳をすり抜けて、「新人」は子供のようになってしまう。その姿は年老いて認知症になった老人のようだ。抗老化剤の注射をして平均寿命は200歳になった世界。「小便も出れば悪臭も放つし食べて寝てファックする」この小説が発表されたのは1970年。当時の日本の平均寿命は69歳、今は女性なら87歳。行き場をなくした地球人口。本当に、ディックが描いた世界は決してSFじゃなくて、リアルな今にのしかかってくる感覚がある。



「いつかー生きているものはみんな、空を飛ぶと思うな。でなくても。歩いたり走ったりする。この世とおなじに、はやく進んでいくものもいるけど、たいがいは飛ぶか、てくてく歩くかする。上へ上へ。永遠にね。ナメクジやかたつむりだってそうさ。とってものろくさい歩みだけど、それでもいつかはやってのける。みんな、どんなに歩みがのろくても、最後にはたどりつく。いろんなものを残していくことにばるけど、それでもやらなくちゃならないんだ。きみもそう思う?」


そう、どんなに歩みがのろくても、いつかはやってのける。最後にはたどりつく。だから現実を嘆いて逃避するのではなく、一歩一歩自分のすべきことに挑戦し歩んでいくこと。人生を他人のせいにしないこと。


なんかいろんなことを考えたのだけど一旦こんなものにしておこう。


ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)

ユービック (ハヤカワ文庫 SF 314)