平面書きのひらがな

rottenlily2005-03-20

頭で鳴り響く、セリフは私の口をついて出る
いつのまにか、音程も情緒も変えて
言葉が言葉としてそこに存在する、はずなのに、
私の口からは平面書きのひらがなが落っこちるだけ


国語の授業を続けておくれ
唇が乾かない方法を教えておくれ

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mixiでA氏の日記を読んでいて触発されて書いた。書き物スランプの現在、こうして少しでも形になって何かが出てくることは嬉しい。文章のネタもいくつか用意しているけど情景がうまくまとまらないので筆が進まない。
私が演技する時、頭の中で思い描いているものと実際形になって出てくるものは違う。誰でもそうだけれども。言葉は言葉としてそこに存在するのに、私の口からは平面書きのひらがなしか落っこちてこない。

他人は私の唇が乾かない方法を知らない。恋人の唇は唇を潤せど果てに唾液は乾くことしかしらない。

来週の土曜日26日に、この1年間出演させていただいている定例朗読会溶鉱炉がある。6度目の朗読。多分この朗読会に出させていただくのも最後になるだろう。それが終われば、私には一時表現の場は無い。いや、無いと規定はしたくない。いつも私は言葉で自分を規定してしまう悪い癖があるから。テキストはなかおちさと氏に書いていただく予定(まだなんよ・・・)。テキストを朗読する。そこに言葉を生起させる。私の口から言葉がついて出てくるとき、その言葉はそこに存在し、空間に存在する。
劇団時代のある日の稽古風景を思い出す。死んでしまう少年の役をするのに、死ぬ直前の彼の叫びのシーンが何度やってもうまく表現できない私に、色んな方に肩や体を掴まれて、私は腹の底から大声を出した。息を止め、苦しく、声にならない声で叫んだ。あの腹の底からの呻きを手に入れたとき、私は初めてやっと、表現を見た気がする。小手先の表現ではない。でもただの大声じゃない。腹の底から這い上がってくる、脳髄から垂れ流される、言葉が空間を通して観客に入り込んでいく。表現できるようになりたい。もっと。

何度と抑鬱に足を巣食われそうになる。そのたびにバタンと前に落ち、地面の小石を口で噛み、土に頬付けて自らを罵倒し、そして右手を付き左手を付き、這い上がる術を一人捜す。それは私だけの孤独の作業。それは孤独では無い、と誰かが言っていたけれど、私には孤独の作業でしかない。恋人の胸の中で閉じた自分の心の扉を必死に開けようとしている。僕は贅沢だ。かみさま、うつをなおしてください。うつからはいあがらせてください。祈る。痛む胸をぐっと掴んで。