世界は広いから

彼氏が古谷実の「シガテラ」という作品を読んでいて、面白そうなので私も読んだら面白かった(まだ連載中)何か人間の脳みそで考えてることをそのまま言葉にしてるみたいな変なリアル感。この人絵もリアルだからさ。なんかこの人が書く男はすごくリアルだ。でも一定であんまりバリエーションないけどね。女の子ももっとリアルに書けば面白いのに。まあいいや。


んで、今週は5巻が発売になってたんだけどその中に太田りつ子という、今回の巻だけ登場する女の子がいる。主人公の友達の彼女。自分の意志でザクザク踏み込んでいき、言いたいことはバシバシストレートに何でも言っちゃうタイプの女の子。私は昨夜仕事のレポートを書き上げた後、シガテラを読みながら、なぜかこの人に親近感を抱いていた。あああ、多分私描かれたらこういう女の子だ、と思ってしまった。彼女が主人公に言うセリフ「私にあまり言い過ぎるなとか言葉の重みがなくなってきてるとかひどいこと言うんだよ」は、ちなみに元彼時代に私も言った言葉だ。彼と別れてしまって、彼女が階段に座り込んで、「あー最悪だよ。むちゃくちゃ悲しいよ」というシーンには、親近感を覚えずにはいられなかった。


こういうタイプの人間には、なぜ世界がそうなっているのかわからない。何で「本当のこと言ってくれないの?」と思ってる。自分がズカズカと話すだけに。こういう子は世の中渡っていくのに非常に不便だ。なぜなら世界の人間は彼女ほど心を世界に向けて拡げていないから。


なぜ私がこんなことを書いているのかというと、それは私が最近身に染みて思ったことだからだ。


私はこんなに色々なことを話しているのに、ストレートに生きてるのに、世界の人間はそんなに言葉を話さない。身を隠して生きてる。自分の「ほんとうの意志」を発信することはないのだ。でも自分は違う。自分自身全開で生きてるから、みんなが隠しているように見えるんだ。


最近ある人に指摘された。どうやら私の話し方はおかしいらしい。だから友達もできない。友達と思ってた人からは嫌われ、大人になればそう簡単に新しい出会いなど無い。それでも、嬉しいことに中学時代の親友や高校時代の親友や大学のゼミの友人もみんな東京にいる。時々会ってくれる。みんな自分の道を生きてる。親の反対を無視し、東京にでてきて1年。精神的にもものすごくボロボロになりながら、それでも私はなんとか生きている。性格が悪いのも、生き方や話し方がおかしいのも、頭が悪いのも、正直すぐに変えるのは無理だ。私は23年間そんな調子で生きてきたから、自分を世界に合わせるのはものすごく難しい。でもきっとそれは大人になるってことの一つだ。本当に嫌だけど。「大人になんかなりたくない」けど。世界に自分を合わせていかなければ、生きていくのは難しい。外の世界は広い。うまく対応して自分を動かしていかなくちゃ生きていけない。


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うちの猫の夏目が窓際に座って外を眺めているのを見て、「夏目は外に出たいのかなぁ」と言うと、同居人は「猫は外を見るのが好きなんだよ」と言った。私はなんだか違う気がするんだ。部屋飼いの猫だから彼らの世界はこの家の中だけ、「夏目は外の世界を見たがっているんだ。」勝手に自分の意思を夏目に押しつけながら、私は窓際で外を見る夏目を見た。さて、朝だ。今日も仕事である。行ってきます。